~ sleeping lion ~ 2
どうやって教室に戻ったのか、日向は思い出すことが出来なかった。
授業に少し遅れてしまい、教師に理由を聞かれたが、本当のことを言えるわけもなく適当に誤魔化して席についた。
その後も、教師が話すことなど全く頭に入らず、かといって外を眺めるでもなく、何も書かかれずにただ開かれてあるノートをじっと見つめては、頭の中で同じ言葉を繰り返し再生し、苛々としてしまう。
若島津とお前、付き合っているんだろ?
あんまりだ、と思う。
そうだ、自分は若島津と付き合っている。小4の時からの付き合いだ。だけれど、それは久保の言うような関係ではないし、ましてや他人に面白おかしく噂される理由なんて何もない。
今時、同性愛だからどうだというつもりは日向にはないし、人がどんな恋愛をしようが、誰かに迷惑を掛ける訳でなければ気にしないが、しかしそれが自分と、自分の親友に降りかかってくるのなら話は別だ。
日向にとって、若島津は大事な存在だ。
今となっては、誰よりも、家族さえよりも近くにいて、日向を支え、また日向も若島津を支えていると自負している。
普段は恥ずかしくて口に出せないが、日向は若島津と自分との関係を、そういうものだと思っていた。
なのに、そんな風に陰で噂をされていたなどと・・・正直、自分についてこの学校に来てくれた若島津に申し訳ないと思う。
そこまで考えて、日向は気がついた。
若島津はこの話を聞いたことがあるのだろうか?・・・・もしそうだとしたら、どう思ったのだろう?
「馬鹿馬鹿しい」と一笑に付しただろうか。それとも自分のように、不愉快だと怒っただろうか。単純に、気持ちが悪いと思っただろうか。
そこまで考えた時、日向は少し複雑な心境に陥った。「気持ち悪い」と思われたなら・・・・と想像して、それはそれでショックだったからだ。若島津のことを、男女間のそれのように好きだと思ったことは一度も無いが、たとえそうだとしても、若島津には自分のことを「気持ち悪い」などと思って欲しくなかった。今まで培ってきた信頼や友情といったものが、そんなことで損なわれるとは思わなかったが、それでも何かが変わってしまうような気がした。
もし若島津が知って、自分のことを気持ち悪いと思ってしまったなら・・・・。
きっと自分は辛くなるだろう、それが友人として普通のこと、当たり前のことだとしても。
日向はそう思った。
授業が終わり、サッカー部の練習に入ってしまえば、特に何を考えることもなく時間が過ぎていった。サッカーさえしていれば、日向は大抵の嫌な事、不快なことは忘れられる。傍目にはいつもよりも嬉々ととして体を動かしているようにすら見え、練習が終わった時には反町が探りを入れてきたくらいだった。
「日向さん、今日は更に張り切ってたね。何かイイ事あったの?」
「・・・別に、いつもと同じだぞ」
「またまたぁ。・・日向さん、今日5時間目の授業に遅れてきたんだって?しかも、制服を汚して」
「お前・・・。」
どこまで知っているんだと、ギョッとして振り返った日向に、反町がいつものように悪戯っぽい目をして「俺に内緒は通用しないよぉ」と嘯く。
「2Dの奴らが体育の授業の時に、倉庫から日向さんと久保が一緒に出てくるのを見た・・・って言ってたもん。一瞬、あの野郎、日向さんに手ェ出したか?って思ったけどさ。そんな訳ないよなーって。あいつ、一途だからさ。まあ、もうちょっと周りを見た方がいいくらいなんだけどさ」
「お前、久保のこと・・・・・」
「まあいいけど。教えたくなったら、教えてね」
こっそりと耳打ちするように、日向に言い置いて、反町は部室へと向かっていった。
呆けた顔をしたままそれを見送っていた日向にの頭に、パサ・・と背後からタオルが掛けられる。言葉が無くても、日向には誰が背後に立っているのか分かった。
「今日は随分飛ばしてたね。部屋に戻ったら、ちゃんと筋肉をほぐしておくこと。俺がマッサージしてあげようか?」
「大丈夫だ。自分でできる」
「もう少し残って練習していく?何がいい?」
「・・・今日はいい。上がろうぜ」
日向と若島津は、大抵は部の練習が終わった後も二人で残って練習をしていた。部のメニューとは別に、お互いがその時に確かめたいこと、やってみたいことを自由にできる練習は、二人にとって貴重な時間だった。
それを日向は今日に限ってやらない、と言い、戻ろうとする。若島津は眉を顰めた。
「やっぱ飛ばしすぎたんじゃないの?どっか痛めたりしてないでしょうね」
「そんなんじゃねえよ。昼休みがつぶれたから、宿題できてねえし。・・・行こうぜ」
日向はベッドの上に寝転んで、雑誌を開いていた。
夜も更けて、外では虫の鳴き声が響いている。東邦学園の施設は山を切り開いて建てられたが、できる限り環境に影響の少ないように開発する、というのが元の地権者との約束だったため、今でも緑が多く残っている。
それでも校舎の周りはある程度整備されたが、寮の周りは手つかずの森林と言ってもいい状態で、朝は鳥の声が煩くて目が覚めてしまうし、夜は夜で、何かしらの虫の鳴き声がいつも聞こえていた。
虫が苦手の日向ではあるが、姿が見えなければ平気なので、特に寮で不快な思いをしたことは無い。たまに虫が部屋に入り込んてきた時には、若島津が逃がしてくれたから何の問題もなかった。
遊びに行くには不便な場所にあったが、それこそが学生を押し込んでおくにはいい場所である理由だった。ちょっと遊んで点呼までに帰って来る、という訳には行かないのだから。
日向としては、部活と学校と寮の往復だけで済む生活というのは、それだけサッカーに集中できてありがたいくらいだ。若島津も一言も文句や不平を言ったことは無かったので、日向は自分と同じだろうと思っていた。
若島津。
日向は昼間の一件から、若島津の顔を直視できないでいた。夕食の時も、いつものように向かい合わせで食卓についたものの、正面から見ようとしても、つい視線を外してしまう。若島津がどうやら不審に思っているらしいのは分かるが、自分ではどうしようもなかった。
若島津は今、自分の机で数学の宿題をやっている。日向の場所からは、ちょうど斜め後ろから見るような角度になり、表情は見えない。風呂上がりの髪を後ろでひとまとめに括り、Tシャツの袖から筋肉のついた長い腕が見える。
日向は若島津の体格をいつも羨ましく思ってきた。小4で初めて会った時には、身長は少し若島津の方が大きいかな・・・というくらいの違いだったが、手足の大きさが日向の目を引いた。「末端が大きいヤツは、身長も伸びるんだって」と言って、GKに誘ったのは自分だ。そして今、目の前の若島津は日向よりも頭半分大きく、肩幅もあり、がっしりしたいい体つきをしていた。
「なんか、俺に言いたい事あるんじゃないの?日向さん」
それまで黙って問題を解いていた若島津が、突然シャープペンシルをノートの上に置いて、クルリと椅子ごと日向の方を向いて聞く。
ぼんやりとしていた日向は声を掛けられてドキリとしたが、平静を装って「なんもねェよ・・・」と答えた。
「だってさっきから、ずっと俺のこと見てたでしょ」
そう言われて、日向は自分が開いた雑誌も見ずに、若島津を凝視していたらしいことに気がついた。
「今日は何だかおかいしいよ、日向さん。何か気に入らないことがあるなら、いつもみたいにハッキリ言えばいいじゃん」
「別に、何にもねえって。・・・・早く終わらせて、寝ようぜ」
言える訳ねーだろっ・・・と日向は心の中で毒づいて、苛々する気分をぶつけるように、サッカーマガジンをベッドの隅に放り投げ、自分の髪の毛をグシャグシャとかき回す。その様を若島津が見て小さく嘆息するのにも気がつかずに、タオルケットを頭から被って横になってしまう。
一方の若島津にしてみれば、日向に何かがあったことは一目瞭然だった。彼にとっては、日向ほど分かりやすい人間はいない。それは日向の性質ゆえでもあるが、6年以上の付き合いを経て若島津が得たものでもある。
日向と出会った小4の春から、若島津の人生はそれまで予定していなかった方向へと走り出した。それは自分で選択した道でもあったが、だが自分では止めることのできない何か、ある種の熱のようなものに侵され、没頭し、夢中になって走ってきた結果でもあった。
その熱の源が何かは分かっている。今こうして目の前にいる、一人の少年だ。
出会った頃の日向は、ボールが傍らにない時には何てことのない、顔立ちが綺麗だから目を引きはするが、それ以外に取り立ててどうといったところの無い、どちらかと言えば教室の中にいれば目立たない方の子供だった。
でも友人として付き合ってみれば、真っ直ぐで、裏表がなく、情の深い人だということが分かった。それから頑固で、涙もろいところがあって、実は幽霊や虫といったものが苦手で、分からないことがあると首を傾げる癖がある。若島津が同年代で唯一尊敬できる人間が日向で、その気持と、「放っておけない」「からかうと面白い」「可愛い」といった感情が同居できる、稀有な対象だ。
周りが不思議に思うほど、日向と若島津は急速に仲が良くなり、理由がない限りは一緒にいるのが普通になった。約束をしなくても、お互いに時間ができれば、相手が何をしているのかを知りに訪ねていった。
そんな付き合いだから、日向が「何でもない」と言っても、何かがあったことくらいは分かる。今日部活が始まってから以降、日向は若島津の顔を見ようとしない。
俺、何かしたっけか。
今日の昼休み以降を振り返ってみるもの、思い当たる節は無い。そもそも日向は若島津に対して怒っている訳でもなさそうだ。
まあ、そのうち話してくれるだろう・・・と、とりあえずその問題は一旦おいて、目の前の課題に再度取り組むことにした。
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